★死に臨んで従弟・馬岱を案じる★

 破格の待遇を与えられた馬超ですが、入蜀後は漢中攻 めに従軍するものの、さしたる活躍もなく病没します。
 正史では、先主(劉備)は漢中王になると馬超を左将 軍・仮節に任じ、章武元年(221年)、驃騎(ひょうき)将軍 に昇進させたとあり、この人事の辞令を載せてから、(章 武)二年(222年)に卒去し、時に四十七歳であったとしています。
 このとき馬超は死に臨んで上疏(じょうそ)し「臣(わたく し)の一門二百人余は、曹孟徳により誅殺され、ただ従 弟の(馬)岱がいるだけです。途絶えようとしている祭祀 を継ぐべき男として深く陛下(劉備)にお託ししたく、他に 申し上げることは何もございません。」と言っています。

 一族を顧みずに潼関で挙兵したことは短慮であったとよ くいわれますが、一族のことは終生、馬超の頭から離れな かったのではないでしょうか。
→続く


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 ★光武帝の武将・馬援の末裔★
 ★父・馬騰が入朝し、その軍勢を引き継ぐ★
 ★曹操に牙を剥き、数奇な運命を辿る★
 ★冀城を失い、張魯を頼る★
 ★劉備に降り、入蜀にその役割を果たす★
 ★死に臨んで従弟・馬岱を案じる★