★冀城を失い、張魯を頼る★
正史には、逃走して諸蛮族を配下に収めると、彼らを率いて
隴上の郡県を攻撃し、隴上の郡県はこれ(馬超)に呼応したとあり、
さらに涼州刺史の韋康を殺害して、冀城を拠点とし、
その軍勢を配下に収めたとあります。
ただ『魏書』楊阜伝をみるに、
冀城は抵抗の末に、楊阜の進言を退けて韋康が和議を請い降ったものの、
馬超が張魯の大将である楊昴に韋康を殺害させたという事情があり、
他の隴上の郡県とは違い、馬超に心服していませんでした。
正史では、韋康のもとの吏民である楊阜・姜叙・梁寛・趙衢らは
共謀して馬超を攻撃したとあるので、彼らは馬超に復讐する機会をうかがっていた
ことでしょう。
さらに楊阜と姜叙が鹵(ろ)城で兵をあげ、馬超は(冀城を)出て攻めたが下すことが
できなかった。(その隙に)梁寛・趙衢が冀城の門を閉ざしたので、
入ることができなくなったとあります。
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