★劉備に降り、入蜀にその役割を果たす★

 正史には、人を遣って馬超を迎えさせると、軍勢を率 いてただちに城下に到着した。城内はおそれおののき、劉璋はただちに降伏したとあります。
 『典略』にはこの辺りを詳しく、劉備は馬超が降ったと聞いて喜び、 「わしは益州を手に入れたぞ。」と言った。そこで使者をやって馬超を留め置き、 密かに兵を与えた。馬超が到着すると、兵を引き連れ城の北に駐屯させた。 馬超がやってきてから、十日に満たずして成都は陥落したと書かれています。

 『典略』の記事に従えば、馬超は殆ど身一つで、亡命のような形でやって来たことになります。 兵を与えた上で駐屯させるというのは、さも馬超が自らの軍勢を率いて城下にやって来たかのように見せかけるためだといえそうです。 後の『典略』の記事にも見えるように、 馬超が入蜀したとき、庶妻(妾)の董氏および子の馬秋は張魯のも とに留まっていたことからもそのことが窺えます。
→続く


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 ★光武帝の武将・馬援の末裔★
 ★父・馬騰が入朝し、その軍勢を引き継ぐ★
 ★曹操に牙を剥き、数奇な運命を辿る★
 ★冀城を失い、張魯を頼る★
 ★劉備に降り、入蜀にその役割を果たす★
 ★死に臨んで従弟・馬岱を案じる★