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そもそも小次郎が謀殺されるわけとは何か。
小次郎は豊前岩石城主佐々木一族の出身であるといい、
佐々木氏は豊前の国人衆(土着の武士)であった。

ところが豊臣秀吉による九州征伐により、岩石城は落城した。
後に細川忠興が小倉藩主として豊前に入るが、
国人衆は根強い力を持っており、その懐柔のために
一族の小次郎を(剣術指南として?)召し抱えたという。

                           →続く

                   →越前説@/ 越前説A/ 長州説/
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                         (update:'07.1.4)
参考資料『佐々木小次郎』川口素生/アーツアンドクラフツ