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だが、武蔵の経歴やその狷介な性格から、
当時の彼に弟子がそれも複数いたとはどうも考えにくい。
ところが、『沼田家記』の執筆には豊前小倉藩の重臣の
部下である沼田延元なる人物が関わっていた。
しかも、小次郎は小倉藩主の細川忠興に仕えていたという。
これらを根拠として、細川家が己の都合の悪いことを
隠蔽したという説が浮上したようだ。
要するに、細川家が小次郎を謀殺したというのである。
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続く
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(update:'07.1.4)
参考資料『佐々木小次郎』川口素生/アーツアンドクラフツ