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ところが、次第に佐々木家は増長したため、
細川家は一門の勢力を削がんと画策した。
それは試合の形式で小次郎を亡き者にすることだった。

自身の著書に、十三歳で試合に勝ったと書いた武蔵だが、
巌流島での試合については一切話さなかったという。
自分は謀殺に利用されたとの思いがあるからだろうか。

いずれにせよ、現段階では推測の域の出ない説である。
今後の研究が待たれる。

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                         (update:'07.1.4)
参考資料『佐々木小次郎』川口素生/アーツアンドクラフツ