『小倉碑文』

武蔵の養子である伊織が1654年に建立したものという。

『小倉碑文』によると、
    ここに兵法の達人にて、巌流という者あり。
彼(武蔵)と雌雄を決せんことを求む。(中略)
長門と豊前の際、海中に島有り、舟島という。両雄同時に相会す。
巌流、三尺の白刃を手にしてきたり、命を顧みず、術を尽くす。
武蔵、木刀の一撃をもって、これを殺す。(中略)
故に舟島改めて、巌流島という    とある。
非常に簡素な記述である。
                 →続く

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                         (update:'09.4.23)
参考資料『佐々木小次郎』川口素生/アーツアンドクラフツ