もともと豊前側で向島、長門側で舟島と呼ばれていたが、 小次郎の死後、その流儀にちなみ巌流島と呼ばれるようになった。 その所在は関門海峡にある。 かかる宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘は 慶長17(1612)年の(旧暦)4月13日に行われたというが、 決闘に至る経緯は諸説あり、明らかでない。 巌流島の決闘に関する史料はいずれも、武蔵の死後に成立した。 代表的なものは武蔵の養子が建立した『小倉碑文』と 小説『宮本武蔵』にも採用された『二天記』であろう。 『武将感状記』や『古老茶話』などの 半ば創作のようなものも挙げるときりがない。 →『小倉碑文』/ 『二天記』/ (update:'09.4.23訂正:'10.3.19) |
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