『二天記』には、小次郎が中条流の名人・富田勢源(とだせいげん) の家人になり、幼少の頃から稽古し、長じて勢源の打ち太刀を するようになったとある。 小次郎は長刀の使い手とされている。 一方の勢源は小太刀の名人であった。 勢源が小太刀を研鑽するために、打ち太刀をさせる相手に 長刀を持たせ、小次郎もまた長刀の腕を磨いた、 というのが一般的な見方と言える。 しかし、勢源は1520年生まれ(武田信玄と同世代)といい、 同じ『二天記』の、小次郎が巌流島の決闘の折、十八歳という 記述と甚だ矛盾する。 →続く |
参考資料『佐々木小次郎』川口素生/アーツアンドクラフツ |