←戻る だが、これだけでは濃姫が正室であった根拠はない。 ここで、信長死後に成立した『織田信雄分限帳』が登場する。 これは本能寺の変後に尾張に入部した信雄一族や、 家臣団の知行形態を登録する史料である。 そこからは信長の生母などゆかりの女性たちが、信雄から 知行を与えられ、その保護下で生活したことが窺える。 そして、それらの女性らはみな正室である。 その中で安土殿という女性の名が見られるが、 彼女こそ濃姫であり、濃姫が正室である証拠に他ならない。 →続く |
『歴史読本』1992年3月号 特集 織田信長一族の女性たち |