いわゆる『信長公記』には、帰蝶(濃姫)の記事について、 信長に輿入れしたことしか書かれていない。 そのため、輿入れ直後の死亡説や、あるいは 斉藤道三の死後の離縁説などが語られてきた。 しかし、嫡男を産んだ生駒氏(吉乃)はあくまでも側室だった。 【訂正記事】生駒氏はさまざまな資料から信雄の母親であることは確実だが、 嫡男・信忠を産んでいない可能性が濃厚。('11/12/16) やはり、濃姫が正室としてあり続け、 信長の死後も生き続けたとみるのが妥当だろう。 →続く |
参考資料『信長の謎<徹底検証>』加来耕三/講談社 |